Peanuts Monkey Cuisine

I am just a monkey man, I'm glad you are a monkey woman too!

ジャズ談義(21)女国

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A Man and a Child, Prizren, Kosovo

いまでこそ、煙草を吸う女は、あの隔離区域に追いやられた煙草呑みたちのなかでも、とりわけ肩身の狭い人種、それこそまるで黄色い札付きのような存在として見られているけれど、かつては女たちが普通に煙草を吸っていた時代があった。私のまわりの女もたいてい煙草を吸った。女たちは大概、とても薄くて軽い煙草か、とても重たく辛い煙草のどちらかを吸った。ヴァージニアスリムもしくはハイライトの二択という具合である。ラッキーストライクとセブンスターを吸う女も多かったし、むろん好んでメンソールを選んでいた。アメリカン・スピリットを吸う女はいなかった。少なくとも日本にはいなかった。その点、彼女たちは先の敗戦のことを、男たち(とその哀れな末裔たち)より、はるかに冷静に、冷淡に、冷酷に受け止めていたのかもしれない。彼女らが自ら進んでパンパンになったのは、強い兵士に身を委ねるためでも、いつか寝首を掻いて弱い兵士の遺志を果たすためでもない。私たちの土地とその小供どもの運命を、じつに取るに足らない見栄(それは虚栄心とすら呼べない、いわんや誇りをや)のためにみすみす蹂躙させた男どもへの報復である。彼女たちが恨んでいたのは、敵国でも敵兵でもなく、私たちの国の死んだ男たちであり、なお憎んだのは、生き残った男どもである。彼らは見栄すらまっとうしなかったのだ。戦後七十余年にわたって、女たちがこれほど非情に猛威をふるってきたのは、男たちがその語の真の意味で「敵性市民」と見做されたからである。この潮流がこの先もしばらく(あるいは永遠に)続きそうに思えるのは、それくらいやらないと、女たちは作った貸しを取り戻せないと考えているからだろう。もし本当に永遠に続くならば、それは文字通りの滅びであって、じつに直喩的に玉砕である。男ができないならば、女が果たすしかない。産まないことは、女たちの凶器である。しかしながら、この女たちが暴力的に支配する帝国(それはどう考えても、悧巧で野蛮で涙脆い女帝と、それを支える冷酷で利便で視野を欠いた女官たちという、男の漫画が繰り返し描いてきたイメージである)において、我々がそれを現実と呼ぶもっとも皮相的な水準で、どれほど欺瞞的にせよ釣り合いを取るためには(女たちは玉砕というのは百年単位でじっくりと実現するものであることもまた、敗戦体験から学んだのだ)、あるいは力関係のまやかしの転倒を実現するためには、いきおい優れた生贄が必要となってくる。黄色い札付きとは、要するにそういうことである。この不出来な冗談みたいな国が、かくも豊かに風俗産業を発達させ、世界に冠するポルノ大国(毛むくじゃらで口の臭い中年領主を頂く、辺境の矮小な王国と呼んでも差し支えないだろう)として栄えているのは、そういうことが理由だろう。圧倒的少数派として好奇の視線に晒される喫煙所の女たちというのは、生贄たる娼婦たちが標すものを、さらにもう一周転回させた、仮のまた仮のそのまた仮の現実の表象なのだと思う。(文・写真:落花生)