Peanuts Monkey Cuisine

I am just a monkey man, I'm glad you are a monkey woman too!

ジャズ談義(4)青

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A Woman Roasting Coffee Beans, Gondar, Ethiopia

海に落ちた黄色のフリスビーを回収しにいったら、色が青に変わっていた、という夢をみた。そのあいだに極秘海底基地の発見やら、旧友ロニーとの再会など、より意義深いとおもわれる展開がいくつもあったのだが、それはさておき、この色の変化はいったいなにを象徴しているのだろう。黄と青の移り変わり、といってまず思いつくのは、むろん信号である。黄信号から青信号、つまりふだんとはあべこべの順序で色が変わるということは、なにか確固とした秩序の崩壊、というよりもちょっとした綻びのようなものの徴候かもしれない。たとえば、ふと生鮮市場で買ってみたレモンの果実が、いざ割ってみると蜜のように甘かった、というような狂変。いっけん無害ではあるが、ひとつのレモンに不自然に甘い蜜が集まれば、そのぶんどこかで多数のレモン、あるいはグレープフルーツやオレンジが不幸になっているはずなので、兇変かもしれない。信号が黄色から青にかわれば、直進するドライバーはただのラッキーで済むが、彼が僥倖をかみしめアクセルを踏み込む背後で、交差する道路では大事故が起きているかもしれないということだ。ところでレモンの実が、黄から青(緑)に変化したらいかがだろう。これはとうぜんながら成熟から未熟への退行、つまりいい年で円熟を迎えるはずの大人が、とつぜん青年、青二才、青臭いやつに「若返り」するということで、これは信号の例よりだいぶわかり易い意味ではた迷惑な話である。よくある話ではあるが。なお、英語でいうところの青二才は、より色彩的には忠実に「green」であって、「blue」はむろん月曜日のブルーをさす(私としては、ニュー・オーダーの神経症的音楽、あるいは神経症の音楽表現ではなく、カレン・カーペンターの心に染みいる歌唱を想いたい)。では「yellow」はというと、これは「怯懦、軟弱」などのニュアンスがある。コールドプレーが正確にいったいなにを指して「僕らはみんなイエローだ」と叫んだのかは知らないが、私が思春期に聴いていたUKロックのごときはみなみごとなまでにまっ黄色で、なよなよしているか(トラヴィス)、駄々をこねているか(オアシス)、その両方であるか(レディオヘッド)というような違いはあるにせよ、いつまでも大人にならない(なれない)、どこまでも青臭いことをウリにした音楽であることは変わりない。要するにブルーなところは欠片もない。しかし、そういう泣きめそ男たちの元祖と思われるサー・ミック・ジャガーと彼の仲間たちは、齢七十を超えてから「Ride ‘Em On Down」というブルース曲を発表していて、これはもはや青いというよりも、少年、幼年、いやもっとはるかむかしむかし、新生児時代にまで回帰したかのようにチャーミングだが――歌詞のなかでも「おれは昨日生まれたばっかり、おとといにゃ生きてなかった」とちゃんと告げている――それはそれでたしかに濃いブルーを湛えている。ふしぎなものである。