Peanuts Monkey Cuisine

I am just a monkey man, I'm glad you are a monkey woman too!

ジャズ談義(13)怪獣

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A Cat, Dubrovnik, Croatia

センダックの有名な絵本に「かいじゅうたちのいるところ」があるが、怪獣というのはいったいどこにいるのだろうか。ふりかえってみてすぐ思いつくのが、二十歳を過ぎたころに通っていた、坂の真ん中の美容室である。あの美容室の副店長、つまり二十歳過ぎから二十二歳の途中まで私の髪を月に一度刈っていたあのひとは、どう見ても怪獣だった。ぎゃははは、と紫色のぶ厚い唇をひらいて笑うさまや、あの鋏やら櫛やらを収めたガンベルトらしき腰当てをジャラジャラ鳴らしている様子が、いかにも怪獣だった。私にはとても親切だったが、店の若い女の子には厳しかった。しかし怪獣からパーマ液の塗布について薫陶を受けるというのは、尋常ではないことであろうから、あの手指をすっかり荒らせて、ベソをかいていた若い女の子は、いまごろはイッパシの美容師になって怪獣先輩に感謝しているかもしれない。次に思い出すのは、小学校三年生の担任だったY先生と、四年生の担任だったK先生である。Y先生とK先生には、性別からジャージの柄に至るまで、ついぞ似たところがひとつもなかったけれど、こと怪獣らしさにかけては、同じ畑で育って同じ八百屋で売られた野菜みたいに類していた。それを言えば、二年生の担任だったO先生もそれなりに怪獣めいた人物だったので、もしや小学校教諭という職業には怪獣畑のひとが多くいるのかもしれない。あるいは、日々小生意気でこまっしゃくれたコワッパどもに接しているうちに、先生たちはしぜん怪獣に化けていくのかもしれない。考えてみれば、五年、六年と二年連続で我々の不良(というより不調)学級を担わざるを得なかったZ先生も、やっぱり怪獣だった。Z先生はとつぜん「家族の都合」で南米に赴任してしまったのだが、当時の私には、南米と南極の違いがよくわかっていなかった。南米でもやっぱりあの水色のジャージばかりを着ていたのだろうか? 大人になってからも、そこかしこで怪獣に出会う。大人になって出会った怪獣たちの共通点は、1)自らのフィールドにおいて周囲から際立っており、2)基本的には気兼ねなく生きており、3)口が大きい。小学校の頃の先生たちには、この特徴があまり当てはまらない気もするが、当時の幼い私(たち)に比すれば、先生たちは、ずば抜けて有能で、自由で、口のサイズが大きく見えたのかもしれない。ガブリ、と食われそうな気がする、という予感がするところが、たぶん「かいじゅうたちのいるところ」である。(文章・写真:落花生)