Peanuts Monkey Cuisine

I am just a monkey man, I'm glad you are a monkey woman too!

ジャズ談義(15)記憶

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A man at the market, Meknes, Morocco

想い出そうとしても想い出せないことというのは勿論たくさんあるわけで、たとえば、親戚の談では、私は幼いころにこんなことを言ったらしい――ぼくが寿司屋さんとケーキ屋さんになるのは、どっちがみんなよろこぶかな? 真っ当すぎる問いかけであるゆえに、このような市民性(あるいはもっと言うと、人道性)はいったいいつ、どこで、なにゆえに喪われたのだろうか、というさほど真っ当でないことを問いかけたくなるが、それはさておき、ほかに想い出せないことは、たとえば都会に住んでいた時分にいっとき親交があった女性のこと。私の帽子をくれくれ、と頻繁にせがんだこと(あげなかった)、黒い服を着ていたこと(冬だった)、それから中華料理屋の娘だったこと(店主の父親にいつもなんだか申し訳ないような気がしていた)はよく想い出せるのだが、それ以外はほとんどなにひとつ想い出せない、と書いていたら、ここ数年間想い出せなかったその女性の本名を、いままさにこの瞬間に想い出した。少なくとも下の名前は想い出した。肌着の色はまだ想い出せない。記憶というのは、実感的には(あるいはそういう文献をどこかで読んだのかもしれないが、それも想い出せない)あきらかに後頭部のどこかに蓄えられているような気がする。具体的にいうと、ちょうど耳うらあたりの、果実か鮮魚だったらちょうどいい塩梅に旨味の乗った部位にある感じがする。私の脳なんてものは、むろんとくに立派な食材ではなく、喩えるなら南国の庭先にぼいぼいと実っている青っぽいフルーツとか、夏場に網で大量にとれる青魚、要するに希少性の薄い、いつでも二級品扱いの現地品みたいなものであるわけだが、それでも<ケーキ屋になりたかった幼い私>のごときすばらしい喪失記憶は――それを失くしたのに、まだ保持している気がするというのも、おかしな話だが――じつにねっとりとして食べ甲斐がありそうだ。魚だったら七輪でぷっくりと炙るだろうし、果実だったらペティナイフでさっと切り取って、そのままぱっと口に放り込んで、鼻に抜けるその香気に感嘆したあと、惜しげなく呑み下してしまう。飲み物はワイン、それも高級でも複雑でもない、ただの白葡萄酒という感じがするイタリアのテーブルワインがいい。そういう水みたいにすいすいと吸い込めるワインをくいくい飲みながら、私は想い出せるものも想い出せないものも一緒くたに、私の記憶をひと晩かふた晩でふいふいとあらかた食べ尽くしてしまって、あとは紙巻き煙草を一本吸って、食後にすこしだけブランデーをいただいて、あとは眠るようにして抜け殻になるだろう。(文・写真:落花生)