Peanuts Monkey Cuisine

I am just a monkey man, I'm glad you are a monkey woman too!

ジャズ談義(18)若年

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At the Shore, Nice, France

これは友人の話である。あるときバイクで山道を走っていたら、キツネに出会った。しっぽのないキツネで、これじゃひとを騙しようもないな、と思ったので、信用することにした。彼はバイクを路肩に停めて、烏龍茶でひと息ついた。その日の朝、山の上のほうの清流の水を汲んで沸かして、赤い琺瑯びきの鍋でじっくりと煮出した茶だ。当時の彼は、そういうことをする人間だった。銅製の使いこんだフライパンも持っていて、その日の朝はハムエッグトーストを焼いた(本当はオムレツが作りたかったが、火力が足らなかった)。パンの残りが鞄に入っていたので、キツネに放ってやった。食べなかった。他人様の恵んだパンに口もつけないから、お前はしっぽを切られる羽目になったんだぜ。そんなふうに考えた。彼の右手は生まれたときから小指がなかった。短く不格好な親指と、わりああいふつうの人さし指と、なかば合体した中指を薬指しかなかった。指たちが揃いもそろって、あまりにその名に似つかわしくない外見をしている、というジョークを彼は好んでいた。彼は人前ではよほどの事情がない限り、右手を公にしなかったので、人さし指が人をさしたことは、たぶん一度もない。キツネは路肩にとどまって、彼を見ていた。彼は端から期待もせずに、赤い琺瑯びきの鍋に烏龍茶を注ぎ入れて、差し出した。飲まなかった。彼は舌打ちをしたが、それは媚びているようにも聴こえた。それから、あの清流の水を汲んでおくべきだったな、と考えた。彼の生家の裏手には小川が流れていて、自転車ですこし先まで遡れば、そこはもう藪の生い茂る渓流だった。いちど友人と友人の父親と三人で釣りをしていて、借り物の釣り竿を木に引っ掛けて駄目にしてしまったことがある。彼が無理に引っ張ったのがよくなかったのだ。すくなくとも友人の父親はそう考えているようだった。友人の父親というのは、なんと厄介な存在なんだ、とそのとき彼はしみじみと思った。いや、しみじみ思ったんだ、ということを、バイクでひとりで旅ができるようになってから、しみじみと思った。もう釣りはしない。彼はずっとキツネとまみえている。相手は幼くも見えたけれど、キツネというのはとりわけ齢の読めない動物だ。そりゃある程度、年齢不詳でもなければ、ひとなんて騙せまい。さいきん読んだ本のなかで、あるとき外国を旅していて気のいいお婆さんに出会って、その翌日に同じくらい気のいいお婆さんに出会ったら、見事に毒を盛られた、と書いてあった。目覚めたら肩先やくるぶしや膝がしらなど、とにかく体中の出っ張った部分が傷だらけで、視力と心の半分を持ち去られていた、とその旅人は綴っていた。そういうこともあるのだろう、と彼は思った。(文・写真:落花生)